第244回   忘却のダジャレ探偵  1999.3.23





 かすかな日射しがまぶたをくすぐり、私は目を開けた。
 ぼうっとしている頭をゆっくりと回してあたりを見る。飾り気のない殺風景な部屋だ。わずかばかりの家具が置いてあるだけである。鉄格子のはまった窓があり、光はそこから射し込んでいた。
 私は上半身を起こす。古ぼけたベッドがきしむ。ここは……ここはどこだ? 私は、なぜこんなところにいるのだ? まだ頭がはっきりしない。

「目が覚めましたか?」
 突然、背後から声が聞こえ、私は振り返る。この部屋にいたのは私一人ではなかったようだ。見ると、そこにはベッドに腰掛けた一人の男がいた。見覚えのある顔だ。ええと、この男の名前は……。
「ドアには外から鍵がかかっています。窓も鉄格子があって人間は通れない。どうやら、私たち二人は閉じこめられてしまったようです」
 閉じこめられた? なぜ? 誰に? この男は誰だ? そして、そして……。
「私は……私は誰ですか? なんてことだ……自分の名前が思い出せない……」
 そんな私の言葉を聞いても、男は驚く素振りを見せなかった。ただ、一つため息をつくとこう言った。
「やはり、頭を殴られたショックで記憶をなくしてしまったのですね。いいですか、あなたの名前は久遠寺翔吾、人呼んでダジャレ探偵です」
 久遠寺翔吾。なんとなく聞いたことのあるような名前だ。それが私の名前なのか。まるで実感がわかない。それに……ダジャレ探偵?
「なんですか、そのダジャレ探偵とかいうふざけた肩書きは?」
 男は悲しげな顔をして答える。
「ふざけてはいません。数々の難事件を、ダジャレを駆使した推理で解決に導いた名探偵、日本有数の卓越した頭脳の持ち主、ダジャレ探偵・久遠寺翔吾。それが、あなたなのです。……それさえも忘れてしまったのですね」
 まったく覚えていない。ダジャレを駆使した推理? そんなもので事件が解決できるのだろうか。とても信じられない。
「信じられないというのなら、その上着の内側を見てください」
 私はあわてて上着をチェックする。そこには、こんな縫い取りがあった。

 『ダジャレ探偵 久遠寺翔吾』

 わざわざこんなネームを入れるとは、何を考えているのだこいつは? ……いや、どうやらネームを入れたのは私らしいのだが。しかし。
「すると、あなたは?」
「はい、私は、ダジャレ探偵のよきパートナー、京都府警の四条警部。……のはずです」
「……はず?」
「いやあ、実を言うと、私も記憶喪失なんですよ。目が覚めたときは、自分の名前もなぜ自分がここにいるのかも覚えていなかった。でも」
 男は、内ポケットから黒い手帳を取り出す。
「この警察手帳に、詳細なメモが残されていました。それでようやく知ることができたのです。自分の名前も、この事件の経緯も」
 すると、私とこの男は何らかの事件の捜査中にこの部屋に閉じこめられる羽目に陥った、ということか。しかも頭を殴られて、記憶をなくして。
「その事件とは、どういうものですか?」
「ええ、それでは聞いてください」
 四条警部(と名乗った男)は語りだした。それは、こんな事件である。


 当然のように、その部屋は密室だった。
 被害者の女性は羽賀恵理。部屋の真ん中で、頭部を銃で撃たれて絶命している。凶器は部屋の中には見あたらない。
 ドアも窓も、内側から鍵がかかっている。唯一の外界との接点は、エアコンのホースを通すために壁に開けられた穴のみ。これを使えば室外から銃弾を撃ち込むことは可能だが、角度的に被害者の頭部を狙うのは不可能だ。
 四条警部を含む捜査陣は頭を抱えていた。そこに、ダジャレ探偵・久遠寺翔吾が登場する。彼は部屋を見回すと、沢田研二のポスターが貼ってあるのを見つけた。それを見つめながら彼は言う。
「なるほど。すべての謎が解けました。簡単なことですよ」
 四条警部が問う。
「く、久遠寺さん、いったいどういうことです?」
「ほら、これを見てください。被害者の足にロープが結ばれていて、それがドアの下を通っている。さらに、床には死体を引きずった跡もあります」
「ああっ、確かに! 鑑識はなぜこんな証拠を見逃したんだ!」
「犯人は、あのエアコンのホースの穴を使って被害者を撃ったのです。そして、人が寝静まった夜を見計らってロープを引き、死体を移動させた。簡単なトリックですよ」
「な、なるほど。では、いったい犯人は誰なんでしょう?」
「それもすでにわかっています」
 久遠寺は一人の男を指さす。
「お前が犯人だ、筆井!」
 うろたえる筆井。
「い、いったい、何の証拠があって……」
「そこに貼ってある沢田研二のポスターが何よりの証拠だ。つまり、壁際で羽賀恵理撃って〜、夜中に引いている〜、やっぱり〜お前は〜筆井君だな〜、というわけだ」
「さすが久遠寺さん、素晴らしい推理です!」


「どうです、素晴らしい推理でしょう? この事件は、あなたが解決したんですよ」
 推理? それが推理なのか? ……いや、ちょっと待てよ。
「その推理はおかしいですよ。たとえその筆井とやらが犯人だったとしても、いったいどうやって被害者の足にロープを結んだんですか? それとも、被害者が自分で結んだとでも?」
「いやあ、そういう細かいことにこだわらず、大局を見据えるのがダジャレ推理の真髄です」
「そんないいかげんな! そんなくだらないダジャレ推理なんかで、犯人がわかるわけないでしょう?」
「……しかし久遠寺さん、この推理をしたのはあなたなんですよ」
「うっ……」
 それを言われると困ってしまう。そもそも私には、ダジャレ探偵だという自覚がないのだ。ここは話題を変えよう。
「それはそれとして、なぜ私たちはここに閉じこめられているんですか、四条警部?」
「この手帳にはこう書いてあります。筆井は観念して、警察に連行される前に着替えをしたいと言った。そして、私とあなたが二人で筆井の部屋まで付き添うことになった。……記述はここまでですが、どうやら部屋の中で筆井に殴られて昏倒したようですね」
「そして筆井は逃走した、と……」
「そうです。一刻も早く逮捕しなければなりません。久遠寺さん、なんとかしてください。ダジャレ推理で、この部屋を出る方法を考えてください」
 そんなことを言われても困る。……ううむ、ダジャレなど、これっぽっちも浮かんでこない。やはり記憶喪失のせいか。いったいどうすればいいのだ?

 と、その時。ドアを激しく叩く音が聞こえてきた。誰かがドアを破ろうとしているようだ。
 何度かそれが続くと、蝶番が音を立てて吹き飛び、ドアが開いた。制服を着た警官が数人走り込んでくる。
「二人とも、大丈夫ですか!?」
 そしてその警官は、私の顔を見て言った。
「ご無事でしたか、四条警部!」
 ……ん?
 さらにその警官は、四条警部(と名乗った男)を見て言った。
「久遠寺さんもご無事のようで、よかった。……それにしても、お二人、なぜ上着を交換しているんですか?」
 ……ん?


「いやあ、まいりました。まさか筆井が逃げる前に私たちの上着を入れ替えていたとは思いませんでした。どうやら、カムフラージュのために私たちの上着を着て逃げようとしたけど、結局サイズが合わずに断念したようですね。その後、着せ直すときに間違えたんでしょう」
 ダジャレ探偵・久遠寺翔吾が頭をかきながら言う。私(もちろん四条警部だ)が答える。
「二人とも一時的な記憶喪失になったために、事態がややこしくなったんですね。しかし見事にだまされました。なにしろ久遠寺さんが、自信たっぷりに『あなたが久遠寺翔吾ですよ』なんて言うんですから」
「ポケットに警察手帳が入っていたものだから、ついその気になってしまって……」
「私なんか真剣にダジャレを考えようとしていましたよ」
「ははは、まあ、筆井も逮捕されたことだし、今となっては笑い話ですね。しかし四条警部、なんか、いろいろと言ってましたね」
「え?」
「ダジャレ探偵とかいうふざけた肩書き、だとか、くだらないダジャレ推理、だとか」
「……あ、ああ、それは忘れてください。一時的な気の迷いです。もちろん、ダジャレ推理は素晴らしいものだと思ってますよ」
「いや、そう簡単には許せませんね」
「そうですか、仕方ありません、では今度、お詫びのしるしにフランス料理のフルコースをおごりましょう」
「ちょ、ちょっと久遠寺さん! こんなところで一人二役でしゃべらないでくださいよ。今回はただでさえややこしいというのに!」
「や、これは申し訳ない」
「でもフランス料理はおごってもらいますよ」
「ええ、それは喜んで」
「久遠寺さん! だからやめなさいって!」




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