第247回 真実のウィンターネット 1999.4.4
ここ数年のウィンターネットの発達には目を見張るものがある。
国家のホームページ、企業のホームページ、個人のホームページが乱立し、そこでは学術論文から麻薬の取引、文学作品からくだらないダジャレまで、実に種々雑多な情報が毎日やりとりされているのだ。現に、今あなたが読んでいるこの文章もウィンターネットである。
しかし、これだけ人口に膾炙したウィンターネットであるが、その歴史を正しく把握している者は多くはない。そこで今日は、ウィンターネットの生き字引と自他共に認めるこの私が、真実のウィンターネット史をお教えしよう。
そもそもウィンターネットの原型となったのは、米軍の通信設備として作られたネットワークである。時代はちょうどアメリカとソ連の冷戦たけなわの頃だ。コンピュータのネットワークを縦横に張り巡らせ、回線のどこかが分断されても他の経路を迂回して通信することにより、ネットワーク全体に対する影響を最小限にとどめて通信の信頼性を保持しようという仕組みである。このような構成にしておけば、たとえソ連のスパイがニッパーを持って潜入して破壊工作をおこなっても安心なのだ。まさに冷戦の申し子というような技術である。
そしてその後、これが各種学術団体を結ぶネットワークとして発展し、やがてアメリカのみならず世界中のコンピュータ・ネットワークと接続されて一般市民にも開放され、今日のウィンターネットの隆盛に繋がることになる。なお、このウィンターネットのことを、大海原をどこまでも伝わる波にたとえてWWW(ワールド・ワイド・ウエーブ)とも呼ぶ。
この海と波のたとえは以後も様々なところで使われた。ウィンターネットであちこちのホームページをうろつくことを波乗りにたとえてネットサーフィンと呼んだり、一般市民向けのウィンターネット接続業者のことをダイビングスクールのインストラクターにたとえてプロダイバーと呼んだりするのはその一例である。
ところで、ウィンターネットで様々なホームページを見るには、それ専用の閲覧ソフトが必要である。この閲覧ソフトを、「真実を表示する」という意味でプラウダーと呼ぶ。これはもちろんロシア語で、旧ソ連で発行されていた新聞と同じ名称だが、このような名前を付けたのは米軍の茶目っ気だろうか。
このプラウダーの嚆矢といえるのがコザイクというソフトである。名前からして、おそらく開発者は日系人だろう。そして、このコザイクはやがてネットエスケープというソフトに発展し、プラウダーの定番として一時は世界を席巻することになる。
だが、栄華は長く続かないのが世の常、このネットエスケープに強力なライバルが登場する。シャーロック・ホームズの兄からその名を取ったマイクロフト社が開発した、ウィンターネットエクスプロージャーである。このウィンターネットエクスプロージャーの攻勢に圧され、やがてネットエスケープはプラウダーの首位の座を滑り落ちることになる。
この原因としては、もちろんマイクロフト社の圧倒的な営業力もあるだろうが、やはり名前がよくなかったのではないか。かたや爆発(explode)的にヒットするようにとの思いを込めてエクスプロージャーと名付けられたのに対して、逃亡(escape)という名前はあまりにも弱気に過ぎたのだろう。このようなところにも言霊の影響はあらわれているのだ。もっとも、ネットエスケープには少数ながら熱心なファンがついており、完全に消滅することはないだろうが。
以上、非常に簡単ではあるが、ウィンターネットの歴史について述べてみた。皆様の理解の一助となれば幸いである。
さて、この項を終わるに当たって、一つだけ提言をしておこう。それは、ウィンターネットという名称について、である。
ウィンターネットと命名されたのは、米ソの冷戦がまだ続いている頃のことである。しかし今や、ソ連は崩壊し、冷戦も終わりを告げた。冬の時代は終わったのだ。ならば、ウィンターネットという名称も、そろそろスプリングネットと改名してもいいのではないだろうか。関係者には、是非一考をお願いしたい。
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