第259回 いけない竜頭マジック 1999.5.26
腕時計がない。
明日、急に出張に行くことになったのに、腕時計が見当たらないのだ。
そもそも、私は普段は腕時計は付けていない。あまり時間に追われるような仕事をしていないし、時間が知りたければ大抵は目に付くところに時計があるし、なければその辺の人に聞けばいいし、ペンは右手マウスは左手で使う関係上どちらの腕にはめても邪魔になるのだ。しかし、明日はまさに一分一秒を争う仕事、万が一待ち合わせ時間に遅れたりしたら会社に五十六億七千万円もの損害をかけてしまう。そういうわけで、腕時計が必要なのである。
腕時計、いつから使っていないんだっけ。ずいぶん長いこと見てないなあ。そう考えながら私は部屋の中を探し始めた。しかし、なかなか見つからない。鞄の中も机の中も探したけれど見つからないのだ。だが、まだまだ探す気なのだ。ここで踊ってしまうわけにはいかない。
探し疲れたので、ちょっと休憩することにした。煙草に火をつけながら考える。やみくもに探していても、なかなか見つからないだろう。ここは一つ、論理的に考えねば。そういえば、確かゲーテの言葉だったか、「木を隠すなら森の中」という格言があったな。すると、腕時計を隠すとすればどこだろう。やっぱり時計の中か。私は煙草の火を消すと、再び探し始めた。
目覚まし時計の裏蓋を開ける。電池があるだけで、腕時計は見当たらない。鳩時計の鳩を引きずり出す。だがやはり、腕時計は見当たらない。ひょっとして、と思って温度計の裏を見たが、ここにもない。どうやらゲーテはダジャレが嫌いなようだ。
この格言は役に立たなかった。他にどんな格言があっただろうか。そうそう、確か、「もっとも目立つところがもっとも見つかりにくい」という格言もあったな。目立つところ、ってのはどこだろう。探している眼鏡がおでこの上に乗っていた、というのはよくある話だが、すると……。
うわっ! こんなところにあった。なんてことだ、はじめから腕に付けていたとは。一体、いつから付けていたのだろう。完全に盲点だった。この犯人、なかなかやるな。って、私のことだが。
ん? すると、これは探偵かつ記述者が犯人だった、という大トリックか?
などと馬鹿なことを考えている場合ではなかった。よく見るとこの腕時計、止まっている。どうやら電池切れのようだ。ううむ、困ったぞ。どうしよう。とりあえず握りしめて念じてみたが、動く気配すらない。もっとも、時計の気配など感じ取れるわけはないのだが、とにかく私が念じてもダメなようである。やはりユリ・ゲラーは偉大だ。
しかし、ユリ・ゲラーに協力を仰ぐわけにもいかないので、なんとかしなければ。そういえば、貰い物の腕時計がいくつかあったはずだ。押し入れの中を探してみよう。
あった。見つかったのは、ハローキティのラブリーウォッチだ。白とピンクの配色が可愛らしい。……ううむ、こんなものでもないよりはマシか。どうやら動いてはいるようだが、時刻が合っていない。合わせようと思って竜頭を回すと、突然蓋が開いてキティちゃんが飛び出し、踊りながら歌い出した。
「ラララー、二時ですよー、ラララー」
……ううむ、やはりない方がマシだった。
さらに探すと、もう一つ見つかった。これはどうやらまともな腕時計のようだ。しかしやっぱり、時刻は合っていない。合わせようと思って竜頭を回すと、突然アンテナが飛び出した。な、なんだこれは。
……思い出した。これは、CIAが開発した腕時計型トランシーバーだ。横須賀のバーで知り合った米軍兵から極秘ルートで横流ししてもらったものである。しかし、外見は腕時計にしか見えないとはいえ、トランシーバーの機能しかないので、時刻を知ろうと思えば別に腕時計を付けなければならない。ううむ、腕時計を二つも付けていたら、かえって怪しいヤツだと思われるのではないか? こんなものを開発するとは、CIAも大したことはないな。
まあそれはともかく、これはそもそも腕時計ではないので使えない。
さらに探すと、もう一つ見つかった。北海道の民芸品、腕砂時計だ。大雪山へヒグマを素手で倒しに行った友人がおみやげに買ってきたものである。竜頭を回すと砂時計がひっくり返るので、腕をぐるぐる回さなくても使える、という優れ物である。しかし砂時計では、時間はわかっても時刻はわからない。やっぱりこれも使えない。
さらに探すと、もう一つ見つかった。インカの遺跡から発掘された腕日時計だ。イースター島で謎の事故死を遂げた友人の形見である。中心には針が立ち、文字盤にはインカ文字が刻まれている。竜頭を回すと文字盤が回転するので、腕をぐるぐる回さなくても使える、という優れ物である。しかし、陽が照っていないと役に立たないのが欠点だ。やっぱりこれもダメか。
さらに探したが、もう見つからない。ううむ、これまでか。結局、明日は腕時計なしで出張に行かねばならないのか。
ちょっと悪あがきをしてネットで検索してみると、耳寄りな情報があった。世の中には、腕時計など付けなくとも時刻を知ることのできる人が存在するらしい。なんでも、腹時計とか体内時計とかいうもののようだ。
しかし……ううむ、それは気が進まないなあ。いくら便利になるからとはいえ、開腹手術をして時計を埋め込むのは、ちょっと勘弁してほしいぞ。
あっ、もう一つあった。……か、回虫時計? そ、それはもっとイヤだ。
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