第271回 おひるねラッコの伝説 1999.8.3
青い空のまんなかで、お日さまがきらきら、かがやいています。
その光をうけて、海の水もきらきら、かがやいています。
右を見ても、左を見ても、海。見わたすかぎり海が広がっています。
その海の上に、小さなラッコがいっぴき、ぷかぷかと浮かんでいました。
ラッコのなまえは楽介。
お日さまの光を体いっぱいにうけて、楽介はおひるねをしています。体はだんだん波に流されているのですが、そんなことは気になりません。楽介は気持ちよさそうにおひるねを続けていました。
いったい、もうどれくらい眠ったことでしょう。楽介も眠るのにあきたのか、ようやく目をさましました。寝ぼけまなこであたりをきょろきょろと見まわしています。
「あれえ? ここはどこだろう? ずいぶん流されちゃったみたいだな」
楽介はのんきにつぶやいています。かあさんも、友だちも、むれの仲間はどこにも見えません。
「みんな、どこに行っちゃったのかな? どこにも見えないや。ううん、困ったな」
そう言いながらも、ちっとも困った顔に見えないのが楽介ののんびりしたところです。
「まあいいか。こうして海の上に浮かんでいれば、いつかは会えるさ」
少ししゃべったので疲れたようです。楽介はまた、おひるねをはじめました。
しばらくして楽介は目をさましました。何かがおしりをつっついています。
「や、やだなあ。やめてよ。くすぐったいじゃない」
楽介は体をひっくり返して水の中を見ました。イルカです。いっぴきのイルカが楽介のおしりをつっついていたのでした。
「きゅきゅー」
「あっ、イルカさん、こんにちは」
「きゅっきゅきゅー」
「ねえねえイルカさん、ぼく、仲間とはぐれちゃったの。ぼくの仲間たち、どこかで見なかったかなあ」
「きゅきゅーきゅきゅー」
イルカは首をふると、体をひるがえし、ばしゃんと大きな波を立てて泳いでいってしまいました。
「なんだ、知らないのか。がっかりだな」
楽介はつぶやきました。でも、あまりがっかりしたようすには見えません。楽介はもう一度、おひるねをはじめました。
しばらくして楽介は目をさましました。何かがおなかの上にのっています。
「お、重いなあ。だれ?」
楽介が目をあけると、まん丸のおなかの上にはカモメがとまっていました。
「かああ」
「あっ、カモメさん、こんにちは」
「くわぁ?」
「ねえねえカモメさん、ぼく、仲間とはぐれちゃったの。ぼくの仲間たち、どこかで見なかったかなあ」
「くわぁぁかあ」
カモメは首をふると、大きな白い羽を広げ、飛んでいってしまいました。
「なんだ、カモメさんも知らないのか。それにしても、ちょっとおなかがすいてきたな」
楽介はあたりを見まわしました。あいかわらず海の水しか見えません。
「まあいいや。もうちょっと眠ろう」
楽介はまた、おひるねをはじめました。
とつぜん、大きな水音がして楽介は目をさましました。体がぐるぐる回っています。何が起きたのかさっぱりわからず、さすがの楽介もあわてました。
体がうまく動きません。細くてじょうぶなものが巻きついているようです。手足をばたばたと動かしているうちに、楽介の体は海から引き上げられ、白くてかたいところへ放り出されてしまいました。
楽介はニンゲンたちの船に捕まってしまったのです。
「ねえー、それから? それから?」
「それからどうしたの? おじいさん」
「早く話してよ」
ラッコのこどもたちは、おじいさんのまわりをとりまきながら口々にさけんでいます。おじいさんラッコは、水にぷかぷかと浮かびながら、にこにこと笑っています。おじいさんのなまえは楽介。ここに住むラッコの中では一番のとしよりです。
「そう、それからが大変だったんじゃ」
楽介じいさんは話しはじめます。
「わしはニンゲンたちのスキを見て船から逃げ出したんじゃが、ニンゲンたちもしつこく追いかけてきてなあ。そのうちにわしは、海のまんなかでクジラに会ったんじゃ。クジラというのは、ラッコの何百倍も大きい、ニンゲンの船よりも大きい生き物でのう」
「わーい、ウソだーい」
「でも面白いー」
「またウソの生き物が出てきた。ウソのイルカ、ウソのカモメ、こんどはウソのクジラ?」
「もっとウソのお話してー、面白いからー」
「そうじゃろうそうじゃろう。まあ聞きなさい。そしてわしは、クジラに頼んだんじゃ。あの船をやっつけてくださいってな。するとクジラはその大きなしっぽをひとふり、船はたちまちこっぱみじんじゃ」
「ウソだー、ウソだー」
「面白いけどウソだー」
「だいたい、出てくる海がまずウソだもん」
「そうそう、ほんとうの海はここだもん」
ラッコのこどもたちはまわりを見まわします。そのようすは、楽介じいさんの話したウソの海とはぜんぜん違っていました。
おとなのラッコたちが寝そべっている小さな岩山。ほんとうの海は、その岩山の前にあります。
壁はしろくてすべすべした岩でかためられ、そこになま暖かい水が入っていました。すきとおって向こうが見える岩もあり、その向こうにときどきニンゲンたちの顔がのぞきます。そして上を見ると、海のまわりはかたい棒の柵で囲まれ、そこからは今もニンゲンたちがたくさん、こちらを見ています。
そう、ここがラッコたちの住むほんとうの海。ラッコたちが生まれて育った海です。楽介じいさんの話した海など、どこにもありません。もちろん、イルカやカモメやクジラなどというウソの生き物たちもいません。
そのとき、岩山の向こうからニンゲンが入ってきました。手には魚や貝がいっぱい入ったいれものを持っています。
「わーい、ごはんだあ」
「ごはんだごはんだ」
こどもたちはいっせいに海からあがり、ニンゲンの方へ近づいていきました。
いえ、まだいっぴきだけ残っています。みんなから少しはなれたところでぷかぷか浮かんでいたラッキーです。おひるねをしていたのかと思ったら、どうやら起きて話だけは聞いていたようです。
ラッキーはゆっくりと泳いで、楽介じいさんの方へ近づいてきました。
「ん? どうしたんじゃ? 食べに行かないのかい?」
「うん、それよりもさ、お話のつづき聞かせてよ」
「そうか、わしの話が聞きたいのか」
「聞きたい。だって面白いもん」
「そうじゃろうそうじゃろう。で、そのあとはな、船がバラバラになってニンゲンたちは海に放り出されたのじゃ。しかしニンゲンたちもあきらめが悪い。浮かんだ船のかけらにつかまって、泳ぎながらわしを追いかけてきたんじゃ。そこでわしは……」
楽介じいさんの話は、はてしなく続いていました。
次の日。
楽介じいさんはなんだか苦しそうでした。だまって海に浮かんでいるだけで、こどもたちがせがんでもお話をしてくれません。するとこどもたちはすぐに別のあそびをはじめました。海の中でおにごっこをしています。
いえ、やっぱりラッキーだけは残っていました。
「おじいさん、どうしたの? 今日も面白いウソのお話聞かせてよ」
「おお、ラッキーか。どうやらわしは、もう話を聞かせてやることはできなくなったようじゃ」
「えーっ、どうしてどうして?」
「最後にひとつだけ、言っておかねばならんことがあるんじゃ。実はな、今までのわしの話はウソだったんじゃ」
「うん、ウソの海の話だってみんな知ってるよ」
「そういう意味じゃなくて、あの話はな、わしもわしのおじいさんから聞いた話なんじゃよ。わしもほんとうは海なんか見たことないんじゃ」
「あれ? ウソの海をほんとうは見てない? ほんとうの海がウソでウソの海が……ううん、なんだかわからなくなってきた」
「ははは、よいよい。それでなラッキー、わしはもうすぐ、海に帰るんじゃよ」
「海? ほんとうの海に? ウソの海に? どうやって? ううん、ますますわからなくなってきた」
「うんうん、それでいいんじゃ。ところでラッキーや、わしの話をちゃんとおぼえておるかい?」
「うん、面白い話だもん。ぜんぶおぼえてるよ」
「そうかそうか、じゃったらその話……」
「……うん? その話がどうしたの?」
それっきり楽介じいさんはだまってしまいました。目を閉じて、ぷかぷか浮かんでいます。
「おじいさん、またおひるねしちゃったのかなあ。まあいいや、でもなんとなく、おじいさんの言いたいことはわかったよ。ぼくもそのウソの話をおぼえておいて、おじいさんになったら、こどもたちに話して聞かせるんだ。そうしたら、ぼくもウソつきじいさんって呼ばれるかなあ。ねえ、おじいさん」
しかし楽介じいさんは目を閉じたまま、ずっと海の上をただよっていました。体もだんだん冷たくなってきたようです。
その日の夜、ニンゲンたちが岩山の向こうから海に入ってきました。
海に浮かんだまま動かない楽介じいさんの体をかかえ、どこかへ運び出していきます。
そのようすを、ラッキーは岩山の上から見ていました。
「おじいさん、どこへ連れていかれるんだろう? ひょっとして、海へ帰っていったのかなあ」
ラッキーは楽介じいさんの話を思い出しました。
青い空のまんなかで、きらきらかがやくお日さま。
その下に広がる、見わたすかぎりの大きな海。
そして、ぷかぷかと波に浮かぶ小さなラッコ。
たとえウソの海でも、それはとってもきれいな海でした。ほんとうの海よりきれいだなあ、とラッキーは思いました。
そしてラッキーは、楽介じいさんのことが、ちょっとうらやましくなりました。
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