第282回 がんばれセメダイン 1999.10.17
お初天神こと露天神社(つゆのてんじんしゃ)は、大阪梅田の繁華街の真ん中にある。
阪急東通りを右に曲がって横断歩道を渡り、梅田花月シアターを左手にながめてお初天神通りを南下してしばらく歩くと飲食店などが入った「お初天神ビル」が見えてくる。その向こうがお初天神だ。北門西門を通りすぎ、社を正面にのぞむ南門から、私は境内に足を踏み入れた。
境内はさほど広くはないが、すぐ近くに繁華街があるとは思えない静寂に包まれている。石畳を踏みしめて歩いていくと、コンクリート造りの社にたどり着いた。
思えば、長い間大阪に住んでいながら、そしてこの近くの店にはしばしば飲みに来ていながら、ここにはまだ一度も足を踏み入れたことがなかったのだ。ならばやはり、まずはあいさつをしなければなるまい。
「お初にお目にかかります」
社の奥でお初さんがコケる音が聞こえたような気がした。さすがは本場大阪の神さま、コケ時を心得ていらっしゃる。
……ん? 待てよ? よく考えてみたら、この社にお初さんが奉られているわけではない。ここはあくまでも露天神社であり、お初天神と呼ばれるようになったのは境内の森でお初徳兵衛の心中事件があったからなのだ。そう思ってあたりを見まわすと、左手、神牛の像の隣に「お初徳兵衛ゆかりの地」という鎮魂碑があった。
碑の前には竹製のししおどしがあり、ときおりカポーンと風流な音を奏でている。鎮魂碑にししおどしとはいかがなものか、と思いながら、ちゃっかりとこの鎮魂碑の前にも備え付けられている奉賽の箱にお賽銭を入れて頭を下げた。お世話になります。前回はネタにしてすいません。
お参りを済ませ、静かな境内をぶらぶらと歩き回った。神社の常として、ここにもたくさんの絵馬が奉納されている。こういうとき、なにか面白いことを書いた絵馬がないか、とついつい探してしまうのが私の悪い癖だ。さいわい、人影も少ない。ここは思う存分観察しよう。
端の方から順番に確認していくと、やはり多いのは合格祈願と恋愛成就だ。高校合格、大学合格から司法試験合格、警察官試験合格、自衛隊合格、人間合格まで、さまざまな合格祈願の絵馬が奉納されている。恋愛成就の絵馬も、「いつまでも仲良しでいられますように」という微笑ましいものから「信行さんが今の女と別れて私の方に来てくれますように」などというちょっと怖いものまで色々だ。
さらに見ていくと、病気快癒や火の用心、商売繁盛や不老長寿、政権奪取や革命成功の絵馬まである。その他、「お父さんがおうちに帰ってきますように」という涙ぐましいものや「もう事故が起こりませんように JR西日本」というタイムリーなもの、「世界人類が平和であがりますように」などというわけのわからないものまであった。
意外と目につくのが、歌手(らしき人)の奉納した絵馬だ。
「『あんたの海峡』大ヒットの花を咲かせます」
「『みれん酒』大ヒットするぞー」
「『港町ものがたり』で勝つ!」
「『兄弟道』ヒットしますように」
「一度でいいから、ヒットさせてください」
「この曲がヒットしないと、餓死するしかありません」
なにやら悲痛なものも混ざっているようだが、あまり聞いたことのない曲ばっかりだ。どうやら芸能関係にはあまり御利益がないらしい。
では、どういう御利益があるのだろうか。小学校低学年のものと思える、ひらがなばかりの下手な字で「かねもちになれますように」と書いた絵馬があるところを見ると、やはり金運だろうか。なあに、そうは言っても世の中そうそううまい話はないぞ。と思ったら、そうでもないようだ。
「宝くじ一等賞当たりました。
茨木市内に家を持てます。
ありがとうございました」
ううむ、こんな確かな御利益があるとは。しかし、こうやってわざわざ報告に来るとは律儀な人である。他人の書いた絵馬をながめながら好き勝手なことを言っている私とはえらい違いだ。
さらにずっとながめていくと、端の方、風雨にさらされてかすんだ字でこう書かれた絵馬があった。
「今年こそ上方漫才大賞新人賞が取れるようにがんばりますのでヨロシク! 漫才師セメダイン」
ううっ、だから芸能関係にはあまり御利益がないと言っているのに、セメダイン。私もけっこう新人漫才師はチェックしているつもりだったのだが、その名前は初耳だぞ、セメダイン。やはり今年もダメだったのか、セメダイン。
さらに反対側の端に、こんなのを見つけた。
「瑞樹が漫才で一人前になりますように 母」
思わずもらい泣きをしてしまった。しくしく。瑞樹というのがセメダインの一員の名前なのかはわからないが……いや、きっとそうだ。そうに決まっている。そうでなくては。
見ているかセメダイン。母も応援しているぞセメダイン。私も応援するぞセメダイン。がんばれセメダイン。
でも、とりあえずはそのコンビ名をなんとかしないと、NHKには出演できないぞセメダイン。
第281回へ / 第282回 / 第283回へ
目次へ戻る