第284回   さよなら天国また来て地獄  1999.11.3





 イエス・キリストが天国を散歩していると、悲しげな顔をして座っている一人の老人を見かけた。
「ご老人、ここは天国です。なぜ、そのように悲しそうにしているのですか?」
 老人は、振り向こうともせずに答えた。
「わしは息子を探しているんです。地上では、わしは大工をしていたんですが、ある日息子が家出をして、そのまま帰ってこなかったんです。その息子は天からの授かりもので、血は繋がっていなかったのだが、どうしてももう一度会いたくて。もしかして、ここ天国でなら、息子に会えるかと思っていたのですが」
 イエスの心臓が高鳴った。イエスは老人に近づいていき、そっと呼んだ。
「おとうさん?」
 老人は振り返って答えた。
「ピノキオか?」

 ……などと、天国ジョークを紹介している場合ではなかった。今日は地獄の話である。

 よく「あの世へ行け」などと言うが、地獄は決してあの世にあるわけではない。この世の、我々が住む土地の下にあるのだ。だからやはり「地獄へ落ちろ」というのが正確だろう。では、地獄は具体的にはどんな構造をしているのか。それを説明するには、まずこの世界の構造から始めなければならない。
 まず、この宇宙はほとんどが何もない虚空である。だから宇宙を旅するのは大冒険だ。虚空の大冒険。まあそれはともかく、この虚空に風輪と呼ばれる円盤が浮かんでいる。この円盤はとても数値では表せないほど大きい。そして、その風輪の上には同じく円盤状の水輪が載っている。この水輪は直径が120万3450由旬、高さが80万由旬である。 さらにその水輪の上に金輪(こんりん)が載っていて、 直径は水輪と同じ120万3450由旬、高さは32万由旬である。 この金輪の一角に我々は住んでいるのだ。1由旬が約7キロメートルだから、計算してみると……え、ええと、まあ、とにかくすごく大きいのだ。
 これが我々の住む世界の全貌である。たとえて言うなら、たらいを伏せて、その上に洗面器を伏せて、さらにその上にバースデーケーキを載せるようなものだ。あまりそんな食べ方はしたくないが。
 ちなみに、水輪と金輪の境目は「金輪際」と呼ばれている。だから「もう金輪際、浮気はしません」などと言われても安心してはいけない。確かに金輪の中では浮気はしないかもしれないが、水輪や風輪に行って浮気をしているかもしれないのだ。注意注意。
 この金輪の上には九つの山と八つの海があり、海には四つの島が浮かんでいる。この四つの島のうち、南にある島が贍部州(せんぶしゅう)と呼ばれ、我々の住む世界である。ほとんど三角形に近い台形をしていて、その大きさは、上辺が2000由旬、下辺が3.5由旬、斜辺がそれぞれ2000由旬である。1由旬が約7キロメートルだから、計算してみると……え、ええと、まあ、とにかくすごく大きいのだ。なんとなく地球の大きさに近いような気もする。

 そして、やっと地獄までたどり着いたが、地獄はこの贍部州の下に存在する。すぐ下にあるのは八熱地獄で、八つの地獄が層になっている。
 一番上にあるのが等活地獄。ここに落ちた罪人は互いに敵愾心を持ち、鉄の爪で相手を引き裂くのだそうだ。ううっ、痛そうだなあ。
 二番目が黒縄地獄。ここでは罪人が縄で、跡が付くほどきつく縛られる。それだけならかえって喜ぶ人もいそうだが、まだその後がある。鬼がやってきて、鉄の斧で縄目のとおりに体を切り裂かれるのだ。ううっ、痛そうだなあ。
 三番目は衆合地獄。ここでは罪人が山と山との間に押しつぶされる。これも痛そうだが、まあ、東京の通勤ラッシュに慣れた人なら大丈夫だろう。
 四番目は号叫地獄。ここでは罪人は大鍋で煮られる。暗い地獄の中で煮られるのだからこれがホントの闇鍋だ、などとつまらないギャグを飛ばした罪人は、さらに下の地獄に落とされるので注意が必要である。
 五番目は大叫地獄。ここでは罪人は舌を抜かれる。やはり、つまらないギャグを飛ばした者の末路は悲惨だ。
 六番目は炎熱地獄。煮えたぎる熱い釜の上で六千年もあぶられるのだ。六千年といえば、二千年問題三回分である。実に恐ろしい。
 さらに七番目の大熱地獄では体の皮がはぎ取られ、八番目の無間地獄では鬼や妖怪にかみ殺されたり食べられたりするのだ。ふう、紹介するだけでずいぶん消耗してしまった。
 だが、これで終わりではない。ここにあげた八つの熱地獄、どれも四方の壁面に一つずつ門を持っていて、一つの門ごとにそれぞれ死糞副地獄 ・鋒刃副地獄 ・烈河副地獄 などという四つの副地獄があるのだ。だから合計では……え、ええと、まあ、とにかくすごくたくさんあるのだ。

 そして、地獄はこの八熱地獄だけではない。八熱地獄の隣には、八寒地獄がある。この八寒地獄も八つの層に別れていて、JIS第二水準も入っていない漢字が多くて紹介がむずかしいのだが、上から順に、あぶだ地獄・尼刺部陀(にらぶだ)地獄・あたた地獄・かかば地獄・虎虎婆(ここば)地獄・うはら地獄・鉢特摩(はどま)地獄・摩訶鉢特摩(まかはどま)地獄である。
 八熱地獄に比べるとなんだか妙な名前の地獄が多いようだが、これはすべて、罪人のあげる叫び声をあらわしているのである。
「ほら〜、あぶだ地獄だぞ〜、苦しめ〜」
「あぶだー!」
「ほら〜、尼刺部陀地獄だぞ〜、苦しめ〜」
「にらぶだー!」
「ほら〜、あたた地獄だぞ〜、苦しめ〜」
「あたたー!」
 なんだかちょっと楽しそうな気もするが、やっぱり苦しいのだろう。
「ほら〜、かかば地獄だぞ〜、苦しめ〜」
「かかばー!」
「ほら〜、虎虎婆地獄だぞ〜、苦しめ〜」
「ここばー!」
「ほら〜、うはら地獄だぞ〜、苦しめ〜」
「うはらー!」
 ううむ、やっぱりなんだか楽しそうだなあ。
 って、なにも一つ一つ例を出すことはないのだが、あと二つだし、せっかくだからやってしまおう。
「ほら〜、鉢特摩地獄だぞ〜、苦しめ〜」
「はどまー!」
「ほら〜、摩訶鉢特摩地獄だぞ〜、苦しめ〜」
「まかはどまー!」

 そしてもちろん、この八寒地獄にも副地獄があり、さらに八寒地獄の隣には孤独地獄という主地獄もあるというのだから、地獄というのはとてつもなく広大なのだ。とても一日や二日で回りきれるものではない。長期滞在の準備をしておいた方がいいだろう。
 そして、そんな広大な地獄へ行ったときは、やはり、こんな歌を歌おう。
「♪黄泉は広いな大きいな〜」
 一気に五番目の大叫地獄まで落とされるから時間の節約になるのだ。




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