第291回 日本史教科書を考える 1999.12.16
「未来の子供たちは大変だなあ」
「どうして?」
「だって、歴史の教科書がどんどん厚くなって覚えることが増えるでしょ」
「ぎゃふん」
などという笑い話があるが、本当にそんな事態が到来するのだろうか。ちょっと考えてみよう。
日本史の教科書を例に取ると、いつから「日本の歴史」というものが始まったのかという問題はなかなか難しいものがあって縄文時代弥生時代はどうするのかとか幻の超古代文明はどう扱うのかとか氷河の底で三万年眠り続けた戦士たちをどう記述すればいいのかとか悩むところだが、ここは簡単のために日本史が西暦ゼロ年から始まったことにしよう。始まったことにするのだ。
そして、西暦二千年の日本史の教科書が四百ページあったとする。一ページあたり五十年である。日本史の教科書がこの割合で厚くなっていくとすれば、西暦四千年には八百ページ、西暦二万年には四千ページとなる。実に恐ろしいことだ。こうなってしまえば、授業時間はすべて日本史に費やされることになり国語や数学や生物の授業をやる時間がなくなってしまう。そんな授業を受けた生徒が大学へ行くと、やれ「雰囲気」を「ふいんき」と読むとか分数の計算ができないとかニワトリの絵に足を四本かいたとか言われて社会問題になってしまうのだ。しかしそれは生徒たちの罪ではない。日本史ばかりを教えていた学校が悪いのである。だから生徒たちを責めないでほしい。
いや、学校の授業が日本史ばかりになるならまだマシである。時代が進めばさらに日本史の教科書は肥大化していき、とても在学中に学び終えることなどできなくなってしまう。そうなれば生涯学習、一生日本史を勉強しなければならない。いや、生涯学習ならまだマシである。仕事や趣味の合間に日本史の教科書をひもとけばすむからだ。さらに時代が進んで教科書が肥大化していくと、ついには人生のすべての時間をかけても教科書が読み終わらない、という事態になってしまう。日本史に生涯を捧げた研究者ならそれでもいいかもしれないが、われわれ一般人にはいい迷惑である。普通の人間は、日本史の勉強ばかりしているわけにはいかないのだ。仕事もしたいし遊びもしたい、恋もしたいし雑文も書きたい、『ドラクエ』もしたいし『おじゃる丸』も見たい、お金も欲しいさ名も欲しい。それでもその夢を、日本史の教科書が捨てさせるのだ。
まあしかし、さすがにそれほど馬鹿馬鹿しい事態になる前に誰かが気付いてストップをかけるだろうが。
では、他にどんな手が考えられるか。日本史の教科書を無限に厚くしていくことができないとすれば、記載する内容を削るしかないだろう。西暦二千年の教科書が四百ページあったとする。一ページあたり五十年である。教科書のページ数を一定に保つとすれば、西暦四千年には一ページあたり百年、西暦二万年には一ページあたり五百年となる。実に恐ろしいことだ。今から五百年前といえば西暦千五百年である。室町時代から現在までの歴史を一ページで記述しなければならないのだ。こうなると網羅的な記述はできず、重要な出来事だけを厳選して載せねばならない。載せるとすれば、戦国時代の群雄割拠、江戸幕府誕生、明治維新、太平洋戦争、紅茶キノコブーム、新加勢大周登場、くらいだろうか。いずれにせよ、これだけの記述で複雑な日本の歴史を理解できるとは思えない。困ったものである。西暦百年くらいの教科書なら、一年の記述にたっぷり四ページもかけられたのに。ああ、あのころが懐かしい。
などと嘆いていても仕方がない。日本史の勉強にばかり時間を割くことができない以上、どうしても妥協は必要なのだ。教科書のページ数にあわせて、記述を削るのはやむを得ないだろう。
しかし、たとえば西暦二万年、二百世紀の日本史の教科書には、われわれが生きている二十世紀という時代はどのように記述されるのだろうか。われわれは、現に生きている時代でもあるし、科学技術がかつてないほど急速に発達した時代だということでけっこう重要だと考えているが、未来の人々から見れば案外そうではないかもしれない。歴史の中の、取るに足らない一部分かもしれないのだ。
そんな未来の教室の風景は、こんな感じであろうか。
「さあ、いよいよ来週から期末テストだ。みんな、日本史の勉強はしているか? 受験科目のアルデバラン語や相転移数学、星間倫理学ばかりじゃなくて、たまには日本史も勉強してくれよ」
「先生先生、日本史の試験はどのあたりが出そうですか? ヤマを教えてください。二十世紀あたりですか?」
「二十世紀? いや、あの辺は大して重要じゃない時代だから。そうだなあ、せいぜい、太平洋戦争と紅茶キノコブーム、新加勢大周登場くらい覚えておけばよろしい。あと芸術では、太陽の塔と三毛猫ホームズを覚えておけば完璧だな」
「すると、出そうなのは?」
「おいおい、全部言わせる気か? 仕方ないなあ……まあ、八世紀の道鏡事件、十八世紀の遠山の金さん、二十二世紀の第二次南北朝時代、三十三世紀から三十四世紀にかけてのバナナワニ星人との星間大戦争、三十七世紀のフキダラソウモン絶滅、四十五世紀のカンディスブッペラの雪辱、七十八世紀の札幌雪祭り連続殺人事件、そんなところだな」
「先生、カンディスブッペラは、やっぱり背中がカンディーズなんですか?」
「わははは、馬鹿なことを。そんなことを言うヤツはお腹がブッペラ!」(一同、大爆笑)
……ううむ、二百世紀のギャグは二十世紀人には理解しがたい。
しかし、それほどの未来に果たして日本という国が存在し日本史の教科書が存在するのか、はなはだ疑わしい。もし存在していないのなら、それはまさに、お尻がブッペラである。
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