第302回   三度目の航時機  2000.3.5





「博士、いますか? おーい、モロゾフ博士」
「なんだい、誰かと思えば助手のラプシン君じゃないか。いるかもいないかもないだろう。一間っきりの実験室なんだ、さっきからあんたの目の前にいるよ」
「おや博士、こんなところで会うとは奇遇ですなあ」
「何を言っているんだい。で、今日は一体何の用だね?」
「そっちこそ何を言ってるんですか。博士に呼ばれたから来たんでしょう」
「うむそうか、そうだったな、うん。いや実はな、ついに例のアレが完成したんじゃ」
「えっ、例のアレって……ひょっとして、またタイムマシンですか? あ〜あ」
「こらこら、ため息をつくんじゃない。このモスクワ科学アカデミーの重鎮、ドクターモロゾフの言葉を信じなさい」
「重鎮の割には、こんな裏長屋みたいな狭っ苦しい実験室しか貰えないんだよな……」
「ん? 何か言ったか?」
「い、いえ別に。ゴホゴホ」
「そうか、ならいい。ではさっそく、完成したタイムマシンを披露しようか」
「イヤだなあ、ぶつぶつ……。博士、ホントに完成したんですか? この前の試作品第一号なんて、ひどかったじゃないですか」
「うむ、あれはちょっと性能が悪かったな」
「悪いなんてもんじゃないでしょう。未来にしか行けない、しかも、一時間先の未来に行くのにきっちり一時間かかる、なんて」
「まあ確かに時速一時間ってのは遅かったな。だがしかし動力不要で半永久的に使えるという、環境にも配慮した優れものだったぞ」
「詐欺じゃないですか、それは。それから、試作品第二号もひどかった」
「うむ、あれはちょっと性能が良すぎたな」
「いい悪いの問題じゃないでしょう。全宇宙の時間を、一時間だけ停止させることができる、なんて」
「まあ確かに、ホントに停止したのかどうか確認する方法がなかったのはまずかった。もう少し性能を落とせば良かったのだが、ついつい完璧なものを作ってしまうのだよ。ううむ、隠そうとしてもついついあふれ出てしまう、この才能が怖い……」
「別の意味で怖いですよ、まったく」
「だが、この試作品第三号は大丈夫じゃ。ちゃんと人が乗れるし、過去にも未来にも行けるんじゃ。ほら、これを見たまえ」
「ううむ、外見はなんとなくソレっぽいですねえ。しかし大丈夫かなあ」
「大丈夫大丈夫、このモスクワ科学アカデミーの重鎮、ドクターモロゾフの言葉を信じなさい」
「だから、重鎮の割にはこんな実験室で……」
「まあそれを言うな。今はたまたまちょっと冷遇されておるが、このタイムマシンが完成したからには栄耀栄華は思いのままじゃぞ、ふふふっ。助手の君にも、もちろんそのおこぼれは分けてやろう」
「はいはい、ありがとうございます」
「よし、ではさっそく試運転じゃ。行くぞ、ラプシン君」
「はい、行ってらっしゃい」
「こらこら、何を言っておる。君も来るんじゃよ」
「ええっ、私もですか? ううっしくしく。行きますよ、行けばいいんでしょう。ぐすんぐすん。遺書を書いておかねば……」
「ええい、そんなヒマはない。ほらほら、早く乗りたまえ」
「しくしくしく……。で、博士、一体どこへ、いや、いつへ行くんですか?」
「革命前のロシアじゃよ。エカテリーナ女帝に会いに行くのじゃ」
「おおっ、エカテリーナ女帝! まさに歴史の生き証人ですね。本人から話を聞けば、歴史の研究にも大きな成果が……」
「いや、あの肖像画を見て一目惚れしてしまってな。ああエカテリーナ様、このわしの恋心を受け入れてくだされ」
「って、そんな動機ですかいっ! そ、そうだ、ダメですよ博士。確か、タイムパラドックスやら何やらで、過去に戻って歴史を改編するようなことをしたらえらいことになりますよ。愛を告白するなどもってのほか、物影からそっとながめるだけにしておいてください」
「ううむそうか、仕方ないなあ。よし、では行くぞ、ラプシン君!」


「ほらどうだラプシン君、ちゃんと到着しただろう」
「ホントだ、ここは確かに十八世紀のロシア……ううむ信じられない」
「ふっふっふ、少しは私を見直したかね。ではさっそく、宮殿に忍び込むぞ」
「ううっ大丈夫かなあ、びくびく」
「……うむ、この部屋はどうやら宝物殿のようだな。どれどれ」
「は、博士、あまり触らない方がいいのでは?」
「まあよいではないか。ほら、この壺などなかなかのものだぞ……うわっ」
「ああっ博士、何をしてるんですか! 壺が割れてしまったじゃないですか! どうしよう大変だ、タイムパラドックスが!」
「まあまあ、たかが壺一つ、大した影響はあるまい」
「そんなことはありません。初期値のほんのわずかな違いが、あとになって大きな違いをもたらすことだってあるんですから。ほら、ええと、そう、エビフライ効果とか言うヤツです」
「ううむ、そうだったか? カキフライ効果じゃなかったか?」
「なにフライでもいい、とにかく逃げるんですよ博士! さっさと帰りましょう!」
「で、でも、エカテリーナ女帝は……」
「それどころじゃないでしょう! ほら早く!」


「ふう、なんとか無事帰ってきたようじゃな」
「まったく、博士が余計なことをするから話がややこし……ん? 博士、何か変ですよ。ほら、この実験室、やけにボロくなっているような。まあ、もともとボロでしたけど、さらに輪をかけてボロくなってますよ」
「もともとボロは余計じゃよ。ううむしかし、そう言われてみれば」
「は、博士っ! ひょっとして、間違えて何十年か先の未来に来てしまったのでは? だから実験室がこんなにボロボロになって!」
「いや、この私の計算に間違いなどあるはずは……おっ、ここに新聞があるぞ。どれどれ……。ほら見たまえ、2000年3月5日、ちゃんと出発した日付に戻って来ておる。ん? この一面にデカデカと写真が載っている男は誰だ? ロシア大統領?」
「は、博士! その新聞を見せてください! …………こ、これはっ! なんてことだ、ソビエト連邦が消滅しちゃってるじゃないですか! 共産主義体制も崩壊してロシアはこんな国に……。どうするんですか博士! 博士が壺を割ったりするからこんなことに! あああ、一体これからどうすればいいんだ。あの偉大な書記長は今どこに! 博士、博士! のんびり新聞なんか読んでいる場合じゃないでしょう!」
「いやラプシン君、そう心配することはないぞ。ほら、ここを見たまえ。アメリカ連邦には、ちゃんと書記長がいる」




第301回へ / 第302回 / 第303回へ

 目次へ戻る