第303回   小説に理あり  2000.3.12





 広く大きな窓からは陽光が射し込み、庭の紅梅白梅が微かに春風に揺れている。その様子をしばらく黙って見つめていた久遠寺翔吾は一同の方に振り返り、一人の男を指さして言った。
「あなたが犯人です、源五郎丸さん」
 源五郎丸は太い眉をわずかに上げて久遠寺翔吾の方を見たが、その顔は無表情だ。
 京都府警の四条警部が口を挟む。
「ちょ、ちょっと待ってください久遠寺さん。確かに源五郎丸さんには動機がある。しかし、彼には殺す機会がなかったのです。彼の持っていた、製造年月日2000年3月3日の印字のあるカレーパンの袋、あれが鉄壁のアリバイを証明しているのですよ!」
 久遠寺翔吾は動揺した様子もなく、静かに答える。
「そのアリバイは、すでに崩れました」
「ほ、本当ですか久遠寺さん!」
「ええ。問題なのはやはり、製造年月日でした。あれはインクを熱転写してプリントするタイプの印字機を使ったものですが、日付の設定は手動なので細工は簡単にできます。源五郎丸さんはカレーパンの工場に忍び込み、日付を一日だけ進ませてプリントしたのでしょう。わかってみれば単純なことです」
「なるほど、印字機だったのか!」
「そう、印字機がインチキだったのです」


 ……とまあ、これが世に言う推理小説である。とかく「情」が重んじられる小説の中にあって、珍しく「理」を重んじる小説だ。名称に「理」の文字が入っていることからもそれはわかる。
 しかし、なぜ小説では「情」が重視されるのだろうか。「理」を重視する小説が、もっとあってもいいのではないか。そう、たとえば、物理小説というのはどうだろう。上記の推理小説を、物理小説として書き直してみると、こういう風になる。


 総面積6.57平方メートルの窓からはG型スペクトルの太陽光線が入射し、長辺15.54メートル短辺10.68メートルの庭園の紅梅3本白梅4本の枝が風速5.7メートルの南南西の風で固有振動数2.5ヘルツで振動している。その庭園を38秒間観察していた久遠寺翔吾は0.7メートル毎秒の速度で175度34分だけ体を回転させ、その人差し指の延長線上に一人の男性が位置するように右手を地面と平行にした。


 ううむ、確かに正確ではあるが、これでは読むのに時間がかかって仕方がない。では、背理小説というのはどうだろうか。


「あなたが犯人です、源五郎丸さん。あなたが犯人ではないと仮定して矛盾を導き出す、それが背理法による証明なのです。背理法とは、あの有名な数学者ユークリッドが森の中の一軒家に滞在していたとき、どこからともなく現れた巨人から伝授されたと言われている方法です」


 これでは推理小説と大して違いはないか。では、経理小説というのはどうだろう。


 勤務先では経理を担当している源五郎丸は太い眉をわずかに上げて久遠寺翔吾の方を見たが、その顔は無表情だ。


 ……って、どこが経理小説やねん。ならば、生理小説ではどうか。


 京都府警の四条警部が口を挟む。
「ちょ、ちょっと待ってください久遠寺さん。確かに源五郎丸さんには動機がある。しかし、彼には殺す機会がなかったのです。彼の持っていた、製造年月日2000年3月3日の印字のあるカレーパンの袋、あれが鉄壁のアリバイを証明して……あっ、ちょっとごめんなさい、急に月の障りが……失礼してお手洗いに行って来ますわ、ほほ」


 ならば次に来るのは当然、整理小説だろう。


 久遠寺翔吾は動揺した様子もなく、静かに答える。
「そのアリバイは、すでに崩れました。かなり複雑な話なので、ここで少し事態を整理してみましょう」


 そして、料理小説も忘れてはいけない。


 その時ドアがノックされ、執事が顔を出した。
「みなさま、昼食の用意が整いましてございます」


 さらに修理小説。


 その執事を無視して久遠寺翔吾は続ける。
「ええ。問題なのはやはり、製造年月日でした。あれはインクを熱転写してプリントするタイプの印字機を使ったものですが、日付の設定は手動なので細工は簡単にできます。源五郎丸さんは機械の修理屋を装ってカレーパンの工場に忍び込み、日付を一日だけ進ませてプリントしたのでしょう。わかってみれば単純なことです」


 続いて総理小説。


 その時、席をはずしていた四条警部があわてて駆け込んできた。
「大変です久遠寺さん、いま玄関にトンでもない来客が! 直接指揮をとると言って、首相がやってきました!」


 それから代理小説。


 一同は固唾を飲んで待ちかまえる。しかし、ドアを開けて入ってきたのは首相ではなく、見知らぬ顔の男だった。
「あ、私は首相の代理です」


 おまけに義理小説。


 その男に向かって久遠寺翔吾は言う。
「邪魔をしないでください。いま謎解きの真っ最中です。いくら首相の代理とはいえ、私がそれにつきあう義理はありません」
「そ、そうですね久遠寺さん。しかしなるほど、印字機だったのか!」


 最後は無理小説。


「そう、印字機がインチキだったのです」
「く、久遠寺さん、そのダジャレはちょっと無理があるのでは?」


 ……ああ、やっぱり。




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