第322回   感心新幹線・その1  2000.11.12





 というわけで、新幹線である。
 私事ながら、大阪東京間を新幹線で行ったり来たりすることが多いのだが、新幹線についてはいろいろと面白い話があって、500系のぞみを製造しているのは「近畿車輛」という近鉄の関連会社だとか、静岡県函南町の新幹線沿線には「新幹線」という地名があるとか、新大阪より西に行くと車内の売り子の平均年齢がぐっと上昇するとか、車内の電光掲示板で流れるコマーシャルは大同特殊鋼と日東電工と住友ベークライトばっかりだとか、東京駅地下の京葉線ホームは成田新幹線のホームになるはずだったとか、新幹線の自動改札機が普通の自動改札機より長さがあるのは複雑な処理をしていて時間がかかるので乗客が通り抜ける時間をかせぐためだとか、新幹線の線路を阪急電車が走ったことがあるだとか、そういう話はいろいろとある。
 最後の話はちょっと信用できないという人もいるかもしれないが、まぎれもない事実なのだ。それも試験走行などではなく、れっきとした営業運転をしていたのである。場所はちょうど大阪府と京都府の境界付近、阪急京都線に乗っていると上牧から大山崎あたりは阪急と新幹線がほぼ並行して走っているのがわかり、いや並行と言うよりも両者の高架は一体化していて水無瀬駅のホームなどは薄い壁一枚隔てたすぐ後方を新幹線が通過していてけっこう怖かったりするのだが、1963年ころにはこのあたりの新幹線の線路を阪急電車が走っていたのである。いったいどういう事情があったのかというと、だいたいこんな感じである。

「ちょいと阪急はん、阪急はん」
「なんでっか、JRはん」
「こらこら、まだこのころはJRとちゃうがな。JRになるんは、もっと後のことや」
「そうそう、そやったな。ほな、なんでっか、省線はん」
「こらこら、なんでまたそんな古い呼び方を持ち出すねん。省線って呼ばれとったんは戦前のことやないか」
「はあ、戦争言うたら、応仁の乱のことどすか。あのころはほんに大変どしたなあ」
「なんで急に京都弁になるねん。最初から脱線ばっかりで全然本題に入られへんやないか」
「そうそう、鉄道の話だけに、脱線は禁物でございます」
「こらこら。ほんまに、あんたとはやっとられんわ」
「ほな、さいなら〜」

 あっいかん、終わってしまった。やり直しやり直し。

「ちょいと阪急はん、阪急はん」
「なんでっか、国鉄はん」
「今うちらなあ、東海道新幹線っちゅうものを作ってまんねん。東京と大阪を三時間半で結ぶ夢の超特急や」
「ほお、そらえらい景気のええこって。ほんま、あやかりたいわ」
「ほんでな、今京都と大阪の間の工事をしとるんやけど、ちょいと困った問題があってなあ」
「へえ、なんでっか」
「ほら、あの天王山のあたり。山と淀川にはさまれて、えらい狭なっとるやろ」
「ああ、そう言えばそうやな」
「それに今でもうっとこの東海道本線、阪急はんの京都線、名神高速道路、国道171号と混み合っとって、なかなか新しく線路を通すところがあらへんねん」
「それは厄介やなあ」
「ほんで阪急はんに相談やねんけど、どやろ、あんたんとこの線路の上に、新幹線の高架を作らせてもらえへんやろか」
「ななな、何を言い出すねん一体。そんなもん上に作られたらうるそうてかなわんし、見通しも悪なるやんか。ほんま往生しまっせ」
「まあそう言わんと、その代わり雨が降っても濡れんですむやんか」
「ほなうっとこの電車は雨漏りするんかいな。ほんま無茶言いよるなあ。だいたい、高架作るんやったら自分とこの東海道線の上に作ったらええやんか。なんでわざわざうっとこの上に作ろう言い出すんや」
「しゃあないやんか、東海道線はカーブが多くて、あの上に線路作ってもスピード出されへんねん。阪急はんの線路はまっすぐ走っとるからちょうどええなあ、と思て」
「えらい図々しい話やなあ。上に高架作られんのは勘弁やけど……そやなあ、そしたらこうしよか」
「そうしよそうしよ」
「まだ何も言うてへんやないか。ええと、実を言うと、うっとこもそろそろあの辺を高架にしよかと思っとってん。そやから、新幹線の高架とうっとこの高架、一緒に作ってしもて隣を走らせる、ってのはどうや? 駅のすぐ隣を新幹線が走っとったら、見物客も来るかもしれへんし」
「えらい現金な話やなあ。まあええわ、そしたら、その案でいこか」
「よっしゃ、これで商談成立やな。ほな国鉄はん、工事の方はすべておまかせしまっさ。あんじょう頼みまっせ。ほな」
「えっ? ちょっとちょっと阪急はん、それは、うっとこが全部金出せってことかいな。こらこら。……はあ、まあしゃあないか。そしたら、工事始めよ」

「国鉄はん、国鉄はん」
「おお、阪急はんか。どや、これ見たってや。新幹線の高架ができたで」
「ほお、えらい立派な高架やなあ」
「そしたら、これからいよいよ隣の阪急はんの線路を取り壊して高架に作り直しまっさ」
「へえ、よろしく頼みまっせ。ところで国鉄はん、ものは相談やけど」
「なんでっか」
「なんぼ工事中言うても、うっとこの京都線、止めるわけにはいかへんのや」
「はあ、でもそう言うても、線路取り壊すんやからしゃあないやん」
「だから相談やねん。あんたんとこの新幹線の高架は、もう完成しとるわなあ」
「はあ、そやなあ」
「でもまだ新幹線は走ってへんわなあ」
「はあ、そやなあ」
「だからどやろ、うっとこの線路の工事中は、新幹線の高架を使わせてくれへんやろか」
「はあ、そやなあ……って、あかんがな。まだ新幹線のテスト車両も走ってへんねんで。なんでイの一番によその会社に使わせなあかんねん」
「まあそう言わんと、減るもんやなし。どうせ空いとるんやから、貸してくれたってええがな」
「ううっ、しゃあないなあ。気は進まんけど、どうぞ使うてくれなはれ」
「おおきにおおきに。そしたらこの辺にとりあえず仮設駅も作ろか。新幹線の線路を走る、言うたら見物客も来るかもしれへんし」
「ああもう、好きにしたらええがな」

 とまあ、そんな事情で新幹線の線路を阪急電車が走っていたのだ。1963年の4月24日から12月28日までの間のことである。

 この他にも新幹線については、三島付近で車内に集団の幽霊があらわれたとかいろいろと面白い話があるのだが、それについてはまた次回に。




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