第336回   あなたと私の誕生星  2001.6.3





 雲一つなく晴れ渡った夏の夜。

 瑠璃色に輝く満天の星の下、あなたは恋人を公園に呼び出した。
 確かに今日は恋人の誕生日、しかしあなたは最近仕事が忙しくて何も準備していない。いつもの公園に来てはみたものの、渡すべきプレゼントなど持ってはいないのだ。
 だがもちろん、あなたの恋人は、そんなことで不機嫌にはならない。今までの長いつきあいで、それは十分にわかっていることだった。誕生日おめでとうの一言で十分、恋人はきっとそう言うだろう。嘘や方便ではなく、本当の笑顔を浮かべつつ。
 次の週末まで待って、と言ってもよかったのだ。だがしかし、久しぶりに逢えた恋人の顔を見ていると、あなたはやはり何かプレゼントをしたいと思った。
 立ち止まったあなたは、星空を仰ぐ。偶然か、いや、星空を見上げた必然か、あなたは最近読んだ本に書いてあった「誕生星」という言葉を思い出した。大冊のその本は、リチャード・ドーキンスの『虹の解体』だったか。書かれていたのは、以下のような一挿話。

 鷲座のアルファ星アルタイル、彦星とも呼ばれるこの星は、地球から16光年の距離にあって光を放つ。つまり、今見ているアルタイルの光は、16年前に発せられたものなのだ。だからもしあなたが16才ならば、それは自分の生まれた年に発せられた光である、というのがこの話の基本となるアイデア。
 アインシュタインの相対性理論によると、光より速いものは原則として存在しないから、あなたが生まれたという情報が届くのは半径16光年の球面内。言い換えると、この球の中であれば、あなたが生まれたという情報は(原理的には)行き渡ることが可能。宇宙空間でその限界はアルタイルまで、この球の外側ではあなたに関する情報は何一つ知ることができない。いわば、あなたは存在しないのだ。
 大事なのは、年を取るに従って、あなたが存在できる球も大きくなるということ。年が30才なら半径30光年、50才なら半径50光年の宙域。球面上にある星を、あなたの「誕生星」と呼ぼう。移りゆく年月とともに、誕生星も毎年変わっていく。

 草の上を歩きながら、そんな話をあなたは恋人に説く。口出しすることもなく、興味深く聞いてくれるのがあなたの恋人の持ち味。じゃあ私の誕生星はどれ、と恋人は聞く。口ごもったあなたは、いつも持ち歩いている『理科年表』を急いで開いて、恒星のデータを探すのに血眼。

恒星名距離(光年)
ケンタウルス座アルファ4.3
蛇遣い座バーナード6.0
大犬座アルファ(シリウス)8.7
エリダヌス座イプシロン10.8
白鳥座61番星11.1
インデアン座イプシロン11.2
小犬座アルファ(プロキオン)11.4
鯨座タウ11.8
鷲座アルファ(アルタイル)16
南の魚座アルファ(フォーマルハウト)22
琴座アルファ(ベガ)25
牛飼い座アルファ(アークトゥルス)30
双子座ベータ(ポルックス)35
御者座アルファ(カペラ)40
双子座アルファ(カストル)50
牡牛座アルファ(アルデバラン)60
獅子座アルファ(レグルス)70
竜骨座アルファ(カノープス)80
乙女座アルファ(スピカ)350
小熊座アルファ(北極星)400
蠍座アルファ(アンタレス)500
オリオン座アルファ(ベテルギウス)500
オリオン座ベータ(リゲル)700
白鳥座アルファ(デネブ)1800


 苦労して探し出しました、って、いや、何もデネブまで探さなくてもいいのだが。
 頑張ったあなたは夜空を見上げて、恋人の誕生星を指さす。涼やかに輝くあの星が放つ光は、きみが生まれたときの光だよ。横に立ったあなたの恋人は目を輝かせてその星を注視。
 しばらくしてこちらを見て、あなたの恋人は言う。うん、ひょっとして、あの星にも私たちみたいな恋人たちがいて、太陽を指さして同じことを言っているかもね。熱っぽい視線で、恋人が寄り添ってくるのはあなたの隣。理屈はもういらない、あなたは恋人の肩を優しく抱く。

 雲一つなく晴れ渡った夏の夜。




第335回へ / 第336回 / 第337回へ

 目次へ戻る