第354回   肉食七つの大罪 2005.12.22


「困ったことが起きた」
「どうしたんだ」
「実は、今度のクリスマスに、思い切ってあのコをデートに誘おうと思うんだが、ライバルがものすごく多いことがわかったんだ。これじゃあ、どうにもうまくいく気がしない」
「なるほど。では、このお守りを君にあげるよ」
「なんだいこれは」
「ウサギの足を切って作ったキーホルダーさ。これの持ち主には幸運が訪れるっていうぜ」
「‥‥いや、やめておくよ」
「どうしてだい?」
「だって、その足の本来の持ち主は、今どうしてるんだい?」

 このアメリカンジョークを聞いてから、私はベジタリアンになった。
 そう、肉食は大きな罪である。人間の命も動物の命も、命の重さに違いはない。人間の都合で、他の動物の命を奪ってよいわけはないではないか。そもそも人間は、植物だけ食べていても生きていけるのである。わざわざ動物を殺して食べる必要などないのだ。
 他の動物の命を奪うのが肉食の最大の罪だが、もちろん罪はこれだけではない。太る・コレステロールが高くなる・顔が脂性になる・金がかかる・うんこが臭くなる・妻に小言を言われる、と、他にも六つの罪があるのだ。逆に、よいことなど一つもない。だから、あなたも今日からベジタリアンになりなさい。

 これからの時期、忘年会や新年会に招かれることも多いだろう。そんな時も、動物の肉は食べてはいけない。中華料理でも、豚肉や鶏肉をはじめ、熊の手の平・エイのひれ・虎の睾丸・鯨の大陰唇・蚊の目玉・コウモリの卵・ワニのヘソの緒など、動物性の食材が目白押しである。だが、これらは決して食べてはいけない。招かれたのが蒋介石の招待席だろうがトウ小平の招聘席だろうが毛沢東の特等席だろうが、食べてはいけないのだ。
 そもそもベジタリアンの元祖は古代中国にあると言われている。『肉食と草食』(猪熊龍虎著、民明書房)によると、孔子の弟子として有名な顔回が子供のころ、かわいい子牛が荷馬車に乗せられて市場へ連れて行かれるのを見て、ベジタリアンになろうと決心したとのことだ。この子牛の悲しそうな瞳で見つめられたことは、当時七つの顔回にとって衝撃的な体験だったろう。顔回はこの日からベジタリアンになった。この顔回の意を汲んで、中華料理店に行っても肉は食べずに野菜だけ食べるようにしなさい。
 そして中華料理では、一見、肉が入っていないように見えても、実は肉が入っている料理があるので注意が必要だ。たとえば、寄生虫入りキムチ、手首入りラーメンなどである。

 もう一つ重要なことは、「食わなければよい」というものではない、ということだ。動物の肉体を人間の道具として利用することも同罪である。かつてアメリカのある映画女優が、ミンクの毛皮のコートを着ながら菜食主義を訴えていたことがあったが、あれこそ偽善である。真のベジタリアンなら、毛皮のコートを着ることなどできるはずがない。
 同様に、ダウンジャケットやワニ皮のベルトやべっこう縁の眼鏡や珊瑚の髪飾りや真珠のネックレスやシルクのパンティや水牛の角のペニスケースやラクダのももひきなども使ってはいけない。三味線や豚毛の筆や象牙の麻雀牌や羊皮紙なども使ってはいけない。残酷にも玉虫の羽を埋め込んだ玉虫厨子などは国宝に指定されているようだが、神経を疑う。今すぐ廃棄処分にしなさい。

 ずいぶん偉そうに書いてはいるが、こんな私にもまだ徹底し切れていない点があった。先日、あるベジタリアンのホームページを見ていたら、「蜂蜜も食べてはいけない」と書いてあったのだ。蜂蜜は花の蜜だから植物性である。だから食べてもかまわないだろうと思っていたのだが、よく考えてみれば、その蜜を集めるのにミツバチは多大の労力を使っているのである。そんな蜂蜜を人間が奪ってしまってよいものか。まさに労働者から搾取する資本家そのものではないか。
 というわけで、今日からは、「それ自体は植物性であるが、動物が労力を使って作り出したもの」も使用禁止にする。だから、中華料理店に行っても、ツバメの巣は食べてはいけないし、豚が探し出したトリュフも食べてはいけない。牛が耕した畑で取れた野菜も食べてはいけないし、猿が作った猿酒も飲んではいけない。ウサギがついた餅も食べてはいけないし、犬に引き抜かせたマンドラゴラも食べてはいけない。猫の手を借りてもいけないし、猿の手に願い事をしてもいけないのだ。

 真のベジタリアンになるには、やはりここまで徹底しなければならないだろう。だが、世の中にはまだまだ中途半端なベジタリアンが多い。イルカの肉は食べないがイルカセラピーには利用するというのでは片手落ちである。無理矢理人間の相手をさせられるイルカのストレスをどう考えているのだ。
 まあ、こういう片手落ちは未定着なのが原因だから、今後徐々に改められていくことだろう。

 こういったことを書いていると、「じゃあ植物の命は奪ってもいいのか」「動物と植物の境界はどこか」「細菌やバクテリアやウイルスは動物か植物か」など詰問してくる者が必ずいる。しかしこれらは見当違いの反論だ。動物の命と植物の命を一緒にしてはいけない。動物には意識があり、苦痛を感じる。決して植物とは同列には扱えないのだ。
 動物とは意識のあるもの、植物とは意識のないもの、実に明確な定義ではないか。これに反論したいなら、まず、植物に意識があることを証明してもらいたい。動物に意識がないことを証明してもらいたい。
 だから植物であれば、いくら食べても大丈夫である。ケロニアもグリーンモンスもワイアール星人も、人面樹もお化けキノコもわかめ王子も、いくら知能が高そうに見えようともしょせんは植物。殺して食うのになんのためらいも必要ない。

 おわかりいただけただろうか。これを読めばあなたもきっと、ベジタリアンになりたいと思ったはずだ。今日からあなたも私の同志である。
 といったところで、皆様にとって来年も、いや、ベジタリアンの皆様だけにとって、来年もいい年でありますように。



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