その家の玄関で私を出迎えてくれたのは、京都府警の四条警部だった。
「わざわざ来ていただき、申し訳ありません、久遠寺さん」
「殺人事件ですか?」
「いえ、まだそうと決まったわけではないのですが、とりあえず見てもらおうと‥‥」
「わかりました。現場に案内してください」
私の名は久遠寺翔吾、JDC(日本探偵倶楽部)に所属する私立探偵だ。人呼んで「ダジャレ探偵」である。
私はこれまでに、幾多の難事件を解決してきた。
『究極のダイイングメッセージ事件』
『究極の密室殺人事件』
『究極の鬼首島連続殺人事件』
『究極のアリバイトリック事件』
などである。
京都府警の四条警部とは一昨年からのつきあいで、いまや、私の仕事には欠かせないパートナーとなっているのだ。
その部屋には、中年の太った女性の遺体が横たわっていた。首が奇妙な角度に折れ曲がっているのがわかる。おそらく、これが死因だろう。鑑識課員があわただしく動きまわる中、四条警部が説明を始めた。
「被害者‥‥いや、変死者は、猪俣鈴(いのまた・すず)49才、通いのハウスキーパーです。死因は頚椎骨折。死後約3時間ってところでしょうか。なぜ首を折るはめになったのかは、まだわかっていません。そして‥‥何より奇妙なのは、この部屋は完全な密室状態だったのです。窓もドアも内側から鍵がかかっていて、まさにアリの這い出るすきまもありません」
「アリはアリでもモハメド・アリ‥‥なんてことはないでしょうね。ふむ‥‥」
私は部屋の中を見渡した。窓際に、古ぼけた脚立が倒れているのが目に入ったので、さっそく言う。
「どうやら、この脚立から落ちて首を折ったようですね。この脚立はかなり古い上に、ちゃちな作りです。これで被害者の体重をささえるのは無理があるでしょう。もっとも、被害者はそんなことはまったく知らなかったようですが」
「本当ですか!?」
「ええ。全然無知無知脚立無理、というわけです」
「なるほど。さすがは久遠寺さん、素晴らしい推理です。すると、事故死‥‥ん? さっき、『被害者』と言いましたね? 他殺なんですか?」
「そう。床を見てください。かなづちと釘が散らばっています。床に釘、です。おそらく被害者は、あの窓の上にある棚の修理をしようとしていたのでしょう」
「それであやまって脚立から落ちた‥‥するとますます事故死なのでは?」
「いや、他殺です。なぜなら、この状況‥‥これは明らかに、『見立て殺人』です」
「童謡などの歌詞のとおりに人を殺していく、というやつですか! しかし、私にはこの状況にあてはまる歌詞は思いつきませんが」
「無理もありません。この殺人の『本歌』は、20世紀のはじめにオマル・カマールという売れない詩人が自費出版したルバイヤート(4行詩)集『ナバシュ・クフィール』の第3章にある詩です。残念ながら邦訳はないので、私がちょっと訳してみましょう。
鎚を持ち夢のきざはしを登りかけし者
突如眼前にあらわれしベヒーモスの角
その者、驚きてきざはしより落ち
望み絶え死して横たわるは鉄の草の園
‥‥といったところでしょうか」
「なるほど、確かにその詩のとおりですが‥‥しかし、その詩を知っている者がはたして何人いることやら‥‥」
「だからこそ、犯人はすぐにわかります。四条警部、さっそく動機を持つ者を探してください」
「わかりました」
四条警部が部下に指示を与えるため退室したあと、私は考え始めた。残るは、密室の謎である。犯人はいかにして、この完全な密室を構成したのか? 私はダジャレ推理をはたらかせた。
ほどなく、四条警部が何人かの容疑者を連れて戻ってきた。相変わらず仕事が素早い。
「お待たせしました。動機といえるものを持っているのは、この3人です」
突然連れてこられた3人の男たちは、何のことやらわからない、といった様子で呆然としている。
「えーと、名前は、右から、野村敏久(のむら・としひさ)、山根学(やまね・まなぶ)、新藤広明(しんどう・ひろあき)です。それぞれの被害者との関係は‥‥」
「いや、もう結構です、四条警部。犯人はわかりました」
「えっ、本当ですか?」
「はい。犯人は‥‥」
私は、左端の男を指さした。
「あなたです、新藤さん」
新藤はめんくらったような顔をして叫んだ。
「なんなんだ、一体! なんで俺が犯人なんだよ! さっぱりわけがわからないぞ!」
しかし、私は落ちついて言った。
「新藤さん、あなたはオマル・カマールのルバイヤートを知っていますね」
「おまる? なんのことだ?」
「とぼけるつもりですか。まあいいでしょう」
四条警部が口をはさんだ。
「久遠寺さん‥‥どうして新藤が犯人だとわかるのです? それに、密室の謎は‥‥」
「わかりました。説明しましょう。まず、密室ですが、これは何のトリックもない、完全な密室です。犯人が出入りする余地はありません」
「すると一体‥‥」
「そう、犯人は部屋には入らなかったのです。窓の外から、脚立に乗っていた被害者を驚かした。それで被害者は脚立から落ちてしまったのです」
「なるほど。しかし、驚かすといっても‥‥」
「そう、足を踏み外すほど驚く、というのは並大抵のことではありません。犯人は、顔に化粧をしたのでしょう。怪物‥‥ベヒーモスのような恐ろしい化粧を。このトリックに気付いたとき、同時に犯人の名前もわかりました。すなわち、新藤メーキャップすれば猪俣鈴死、ということです」
「さすがは久遠寺さん、素晴らしい推理です。‥‥おい、新藤を逮捕しろ!」
四条警部が部下に命じる。新藤は抵抗していた。
「やめろ! 俺は犯人じゃない! そんないい加減なダジャレで犯人にされてたまるか!」
「えーい、往生際の悪いやつめ。久遠寺さんのダジャレ推理は完全無欠なのだ!」
新藤はなおも暴れていたが、やがて警官に連行されていった。
「ありがとうございます、久遠寺さん。おかげでスピード解決です」
「なに、当然のことをしたまでですよ」
「参考のためにお聞きしたいのですが、新藤がメイクに使った化粧品はどこのメーカーのものでしょうか? 資生堂? それとも、カネボウですか?」
「いや、怪物のメイクをしたのだから、コーセーでしょう。コーセーおそるべし」